好きなことをやる、嫌なことからは逃げても良い?

四十を過ぎた私の世代が子供のころ、苦しみに耐えることは正しいと教わってきました。

勉強にしてもスポーツにしてもそう。

部活で水を飲みたい気持ちをグッと我慢する。真夏の部活で「うがいだけして良い、絶対に飲むな」と指示され水道に口をつける私の喉を先輩が凝視し、水を飲んでいないかチェックしていたことも思い出されます。

その頃、監督(30歳くらい)から聞いた話は更にひどく、真夏の部活では塩分補給に生の塩をなめていたそうです。(よけいに喉乾くだろ!っていうか血中の塩分濃度!!!)

他にも、

夏休みにつまらない、かつ分厚い推薦図書を読んで、さも主人公に感化されたような感想文を書く。

真冬に半そで短パンで通学する小学生が学校で表彰される。

このような苦痛を歯を食いしばって耐えて耐えて、その先に人生の成功があると教わってきました。

一方現代は、「好きなことをトコトン追求しよう。嫌なことは避けよう。逃げていいんだ。」という感じで自分の子供のころとは 180 度 異なる価値観が出てきて、それは今後もっと強くなっていくでしょう。

私もその考えには基本的には賛成です。嫌なことに耐え続けることは精神を消耗するので結局続かないということが実体験でも感じています。

精神(MP)も体力(HP)と同じで限界があります。


イチローは誰にも負けないくらい野球が好きだし、ヒカキンは動画の撮影・編集自体を楽しめる性格でしょう。最近の E スポーツ選手たちは一般人がゲームを楽しむ以上の興味・楽しみ・勝った時の喜びをもってゲームをやっているでしょう。現代の大成功者達です。
 

ただ、一抹の不安をぬぐえない。

例えば好きなゲームと漫画だけに時間をついやし、嫌な労働・勉強から逃げる。仕事はツラいからやらない。親の金で暮らす・・・
 
 

どうなりますか?
 
 

りっぱなニートの出来上がりですよね?

「好きなことをトコトン追求する」・「嫌なことからは逃げてもいい」。。。

世の中すべてのことに言えますが「過ぎたるは及ばざるがごとし」・「薬も過ぎれば毒となる」。基準や限度があるはずです。

青汁が体にいいと分かっていても、一日 5 リットル飲めば病気になるでしょう。

最近の楽しいと思えることをやろうという風潮の中、自分もつらいと思うようなことから逃げているような気がして、「なんか違うな」と思い始めています。

どこにかに「基準」や「限度」があるはずです。

まだ答えはないですが、どこかで「耐える」・「我慢する」・「歯を食いしばって突破する」が必要な場面があると考えています。

好きなこと、でもつらいこと、乗り越えたら自己実現に近づくこと。
 
 
今後考えていきたいテーマです。

ポエムおわり。